ゴッチさんは数週間前に自宅で倒れているところを発見され、入院していたという。
ゴッチさんは、アマチュアレスリングのグレコローマンの選手として活躍し、48年ロンドン五輪にも出場。NWA世界ヘビー級王座(王者ルー・テーズ)に9度挑戦も、失敗。「無冠の帝王」と呼ばれた。
61年4月、日本プロレスに参戦するためカール・クライザーのリングネームで初来日。芸術品といわれた「ジャーマン・スープレクス・ホールド(原爆固め)」を初披露し、日本へ持ち込んだ。68年には日本プロレスのコーチに就任。「ゴッチ教室」を開き、アントニオ猪木に卍固め、スープレクスを伝授した。
72年1月の新日本プロレス設立に助力。その後はタンパの「ゴッチ道場」で木戸修、藤原喜明、藤波辰爾、佐山聡、前田日明、高田延彦、船木誠勝らを育成。正統派の“ゴッチイズム”を教え込んだ。82年1月の東京・後楽園ホールで木戸と対戦したエキシビションマッチがレスラーとして最後の試合といわれる。菅林直樹・新日本社長は「新日本の発展になくてはならない存在でした」と声明文を発表した。
2007年07月30日 サンスポから
プロレスの神様ももうそんな年だったんですねぇ。
